若冲になったアメリカ人

読了。盛り沢山でした。

若冲になったアメリカ人 ジョー・D・プライス物語

若冲になったアメリカ人 ジョー・D・プライス物語

ちなみにプライス氏は、どこかのガンダムになることを望み続けた挙句に金属生命体化してしまった某00ガンダムパイロットのように「俺が若冲だ」とは言ったりしていない。
今や伊藤若冲といえば最も有名な江戸絵画絵師の一人として認知されているが、若冲を始めとする江戸絵画絵師らの作品が再認識、再評価されるに至っては絵画の収集家らの功績が大きい。ジョー・プライス氏はそういったコレクターの一人であり、特に若冲作品の収集家として有名である。この本はプライス氏の自伝であり、彼と江戸絵画の関わりの歴史を綴ったものにすぎないが、しかしその経緯は彼の収集している絵画の出自と同じく数奇にしてドラマティックである。詳細は是非一読して確認して頂きたい。


以下、本書内で印象的だった箇所をピックアップ。

ただ私は、あの作品をいわゆる「偽物」だとは思っていないんですよ。どこの誰が描いたのかはわかりませんが、かなり腕のたつ絵師だったのでしょう、たいへん個性的な筆致で仙人らしき人物を描いています。とても魅力的な絵です。私にとって、絵がよければ、それは「本物」なんです。偽物なのは署名だけです。私は絵が好きで手に入れたわけで、落款にお金を払ったわけではありません。

p132 「唐人物図」の真贋についてのコメントより

プライス氏はアメリカの片田舎出身のエンジニアに過ぎなかったが、ある時ニューヨークの古美術品店で若冲の絵に出逢って以来、江戸絵画の虜になってしまう。彼の購入動機は絵そのものに魅力が感じられるか否かにあり、絵の来歴や作者の名前にはない。感性の赴くまま購入した絵画がたまたま江戸の日本画ばかりであっただけであり、その中でも若冲の絵が多かっただけに過ぎない。このコメントには彼の収集理念がコンパクトに凝集されている。

五〇歳になったのを機に、プライス社の株をすべて兄に売り、会社との関係がなくなりました。後は好きなことだけをやろうと決めたのです。それはつまり、家族と過ごす時間を別にすれば、私の持てる能力と時間を、すべて江戸時代絵画に注ぐということです。

p148 「日本館を建てるまで」より

ある年齢に至ったのを機に一切の仕事を辞め以後自分の趣味に没頭してしまうというのは、若冲自身の40歳以降に家業を譲り渡して絵描きに没頭した人生とも重なる。しかし近年の研究によれば若冲は趣味100%に生きていたわけではなく、町政にも携わっていたり、完全に俗世との関わりを絶っていたわけではないとのこと。
このコメントはプライス氏が完全に自分の趣味としての、自分のための江戸絵画収集に没頭するということではなくて、江戸絵画のための活動に自己を投じることを意味している。その切欠は趣味の延長線上だったかもしれないが、こうなると最早個人の趣味と呼ぶレベルではない。プライス氏はこれを貴重な人類の共通遺産を個人で収集してしまい保有している者として果たすべき義務と感じているのかもしれない。

アメリカというところは、このくらい戦わないとやっていけないということですね。私は、学生時代に中国の古典にはなじんでいたんですけど、ロサンゼルスに来て、あらためて「孫子」「韓非子」「筍子」「墨子」と、政治や兵法を説いた本を読み直しました。そうやって自分を磨きなおしました。

p167 「日本館を建てるまで」より

上記活動の一環として、日本の美術品を公開するための日本館が設立され、プライス氏がこれまでに収集した作品を寄贈したまでは良かったのだが、当の美術館の管理側の取り扱いが非常に雑であるため、プライス氏側と管理側とでトラブルが多発してしまう。上記コメントはプライス氏の夫人であるエツコ氏のものであり、夫人は強気に出られないプライス氏に代わって絵画を守るために協約を見直し、改定するための行動に出る。和洋分野時代問わず兵法は重要である。

わが家に滞在中の西岡さんに、「どうして展覧会をしたいのですか?」と質問されました。私はこう答えました。「私が展覧会をしたいのではない。作品自体が、多くの人に見られる場を欲しているのです。私は、約二〇〇年間、無視されがちだった絵に日の目をみる場を与えたいだけです」

p177 「プライスコレクション展への道のり」より

ほんとうに私のコレクションが、みなさんに喜んでいただけるものか、この目で確かめたかったのです。東京会場では、始まった当初は、美術館に行き慣れている年配の方が多く、私の姿を見かけると、「図録にサインをしてください」と頼む人がいました。それが後半になると若い方の入場が増えました。彼らは私を見かけると、サインではなく握手を求めてきました。そして口々に「こんなに美しい絵を見せてくれて、ありがとう」と言うのです。私の好きな作品を見た感激を、直接に伝えられる体験は初めてで、私も感動しました。

p183 「プライスコレクション展への道のり」より

若冲も、蕭白も、蘆雪も、誰かに見てもらいたくて、腕を振るったわけですから、作品の保存のために大切にしまいこむのは、意味がないでしょう。滅多に人に見せず、薄暗いところに収蔵すれば、作品は一〇〇〇年もつかもしれません。つねに人に見せることで、その期間が六〇〇年に減るかもしれない。ガラスケースに入れずに自然光に当てることで、寿命がさらに短くなるのかもしれない。しかし、絵にとって、どちらが幸せでしょうか。多くの人に見てもらったほうが、良いに決まっています。鮮明な絵を見た人が、その感動から、また新しい絵を描くこともあるでしょう。世界の美術というのは、そうやって進化してきたではありませんか。

p189 「プライスコレクション展への道のり」より

プライス氏の収集した作品が日本でも紹介されるようになったことで、江戸日本画伊藤若冲らは漸く再評価されることとなった。2006年にはプライス氏のコレクションを大々的に紹介する美術展が開催され、結果、よく知られるように、若冲知名度は大爆発した。
上記のコメントにはプライス氏の絵画に対する想いが濃縮されており、ここからも彼が単なる収集家・美術品愛好家ではないことを容易に想像できる。若冲画、江戸日本画が彼のような収集家の手に渡ったことは絵にとっても作者にとっても類稀な幸運な出来事であり、また、彼と同時代に居合わせたおかげで、若冲らの作品と出逢うことが出来た我々現代日本人も幸運な時代に生きているのである。


本書の巻末のインタビューでは個々の作品についてのプライス氏のコメントが寄せられている。この中から一節だけ引用して記事を締めたい。

私には、この屏風は、若冲のつぎの言葉を実現したものに思える。「いまの画家の多くは、技術によって売れることを望むばかりで、技術を超え、それ以上に進むことはできない。私がほかの画家と違うのはその点だ」。実際にはありえない光景を想像して、鳥と動物の生命感を表現するこの作品こそ、「技術以上に進んだもの」ではないでしょうか。そして、このような作品を描くことができる画家、それが伊藤若冲なのです。

p214 「鳥獣花木図屏風」解説より