ロボットと美術

一ヶ月程前の話になるが、静岡県立美術館で開催されていた「ロボットと美術」展に行ってきた。
公式サイト:http://robot-art.jp/


開場40分前ぐらいに到着した時点で、初音ミクサンプラーCDを目当ての人々が既に20人ほど並んでいた。
さて、ロボット自体を美術品、芸術品として扱った展示会は少なくないが、人とロボットとの関係自体にフォーカスした催しというのは珍しいのではないだろうか。
展示はロボットという概念が人間の創作物としてどのように発生したかから始まり、「ロボット」が登場する芸術作品の変遷からその時代時代に人々がロボットをどのようなものとして認識していたかを紹介していた。
鉄腕アトムガンダム登場以後は(自由意志を持つか持たないかは別として)二足歩行の戦闘兵器、機動兵器として、漫画・アニメで取り扱われることが定番になってしまったために、現代に生きる人間にとってはそれがでデファクトスタンダードになってしまっているという状況は芸術の観点からすると不幸かもしれない。あまりにこれらの影響力が強すぎ、それに縛られるために、これらの固定観念を打ち破れる新しい「ロボット」像を生み出せなくなっている気がしてならないので、この点では鉄腕アトムガンダムは罪深い存在だと思う。

さて、展示の最後の最後に「初音ミク」が登場するのだが、そもそも「初音ミクはロボットなのか?」というのがこの展示会を見る前に私が抱いていた疑問であった(余談だが、この数週間前に会社で同期と「人造人間18号はロボットなのか?」「16号は自分からロボット型だと話していたのだからロボットだが、18号は人間を少し改造しただけだから、アンドロイドではあるがロボットではないのでは?」「人造人間≠ロボットなのか、アンドロイドはロボットではないのか」「ところで18号>ビーデルだよねJK」「いや髪切った後のビーデルさん最高、後は屑」とか何やら話をしていた気がする)。本展示会の内容によると「ロボット」という概念が発生したとき、その根源にあったものは「人の代わりに何らかの作業を行う装置」であるとのことなので、これに従うと、人の代わりに人に従って他のロボットと戦うものとか、人の代わりに声を出して歌うものとか、人の代わりに弾幕を繰り出して巫女や魔法使いやメイドを撃退するものとか*1はいずれもロボットということになる。そもそも突き詰めるとプログラムというものがロボットになってしまうのだが、そこまで抽象化すると一気に馴染みにくくなってしまうから「人の形」という仮初のボディが必要になってくるのか。となると「人の形をしている(あるいは何らかの生物の外装を模している)」というのはロボットにとって外せない要因になってしまっているのかもしれない。

とまあこんな感じで終了。青森、静岡では終了してしまったけど、島根では今月20日から来年の1月10日までやっているので、興味ある方は島根までGO!しかし地方都市ばかりなのは勿体無いと思う。
あと、もう少しドラえもんに触れていても良かったのではないだろうか。人間とは著しく外見特徴が異なるロボットでありながら人語を解し、人間とのコミュニケーションを取ることを存在目的にした非戦闘型ロボットであるというのは極めて稀な例であり、社会への影響力もアトムやガンダム以上に大きいと思うのだが。人間臭すぎるのが駄目なのだろうか。ドラえもんを見て「気持ち悪い」「怖い」「気味悪い」「あれは危険な兵器であり排除せねばならない」なんて言う人は老若男女問わず居ないもんな。

収穫物:

土日限定で先着39人までに配布していた初音ミクサンプラーCDと図録。しかしCDの方はゲットしたのは良いもののまだ開けてなかったりする。

*1:この場合の使役者は人でなかった気もする……。