秋の諏訪を往く〜温泉寺、手長神社、足長神社篇

ということで二日目です。本題の諏訪市を探索開始。

諏訪湖

上諏訪駅から西に数分歩くと到着。それにしても良い天気。

諏訪子諏訪湖着。


何か島がありますが。何でしょうな。

自転車で探索

駅まで戻って自転車をレンタルし、市内を探索。
地図も持たず、GoogleMapを印刷したものだけで乗り切ろうとしたのが間違いの元でした。色々と。ええ。
いや本当は駅前とかに本屋とか観光案内所とかあるはずだからそこで地図を調達しようと思っていたんですけど、なかったので。ということで適当に発車。

温泉寺

既にここに来るまでにグダグダだったりする。地図だけ見て「ああ駅の東の方か」と行ってみたら断崖絶壁でしたので。そりゃー自転車では行けないわな。北のほうから回りこむ形で上ってみたら丁度温泉寺の前でしたとさ。
基礎データ→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E6%B3%89%E5%AF%BA_(%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%B8%82)

温泉で有名な町なのでネタとして建ててみましたとかそういうわけではないらしいです。かつて周辺(高島藩)を支配していた諏訪氏菩提寺だそうな。諏訪氏については後述。

良いコントラスト。

和泉式部の墓があるそうですが。本物?

紅葉してたりしてなかったりする具合。例年はこの時期が一番見頃だそうですが。

北北西を望む。結構高いところにあるので良い景色。

忠垣櫻。春に見てみたい。

手長神社

温泉寺から南下。これが手長神社か?と思いきや聖徳神社。

更に道なりに進んでようやく発見。というかすぐ近くでした。

基礎データ→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E9%95%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE

境内ではかなり多くの人が大絶賛掃除中でした。地元の人間以外が来るのは珍しいのかも。

そういえばこの神社にも御柱があるということを知ったのは後の話。あれって諏訪大社だけだと思っていたのですが、諏訪大社末社であるこの神社もまた御柱完備だったようです。

微妙に機能しているのかいないのかわからない社務所でパンフレットを頂いた。
神社の祭神は手摩乳命(てなづちのみこと)で、神社の説明書きによると足長神社の祭神である足摩乳命(あしなづちのみこと)とは夫婦であり(手摩乳命が母神で足摩乳命が父神)、その娘が建御名方神(諏訪大社の祭神ね)の先祖の奇稲田姫だそうな。両神ともいくらかの古文書では諏訪大神(建御名方神?)の配下として働いたとなっていますが、子孫に仕えるというのも何か変な話ではと思う。諏訪の民話では手長足長という妖怪のような存在がいて、足長が手長を肩に乗せて諏訪湖の魚を乱獲していたという話もありますので、もともとあった「諏訪の神に仕えていた手長足長」の話が日本神話の「建御名方神の先祖の手摩乳命、足摩乳命」に上書きされつつも微妙に混ざったせいでこんな風になったのではと想像しています。諏訪では地元の伝承でもそれぞれ違うことを言っている事が多いので、注意して調べてみると面白い。

神社を出て坂を下っていくと一の鳥居が。自転車だとこの方向からは来られないので気付きませんでしたが…。

劔神社

迷走は続く。足長神社どこかなーと走っていたら別の神社にぶつかった。

劔神社。戦国時代、諏訪氏を滅ぼした後に一帯を支配した武田氏が寄進し、武田信玄が戦の前の武運長久祈願をしたという由緒正しい神社なのですが、それを知ったのは後のことでした。

この神社の御柱のことを知ったのも後の話。上記の話を知ったのは3日目に行った高島城だったので、先にそちらに行っておけばよかったかもと思わないでもない。まあ後の祭りです。

足長神社

ずっと南下して足長神社に至る。ここまで結構距離があります。
杉並木の配置が綺麗。

階段を上って一旦道路に。更に上に本殿がある。

なんか注連縄の対称性が破れているのですが、自発的に破れているのでしょうか。対称性にこだわる西洋人には発狂モノですね。自然界の対称性が破れていることを悲観して自殺した人とか絶対いたに違いない。

建築様式からすると割と新しいらしいので、どこかで手長神社から分離したのでしょうか。ちなみに八劔神社、足長神社とも社務所はないようです。御柱は以下略。

祭神は前述の通り足摩乳命。説明省略。


ということでこの後諏訪大社上社へ向かったわけですが。