今日のポアンカレ vol.1

大分前に予告してた通り、パクリ企画ですがw
第二回以降があるかは気分次第。

科学と方法―改訳 (岩波文庫 青 902-2)

科学と方法―改訳 (岩波文庫 青 902-2)

ちょうど今の気分に合う記述があったので抜粋。

ただ彼らが数学を何かに応用しようと欲するときになると、彼らは如何にしてもこの誤りを犯さなければならないであろう。数学は永遠の自分の臍を眺めているばかりがその目的ではない。数学は自然と接しいつの日か自然と関係を生ずるときが来るであろう。かかる日至るとき単に口先のみの定義は振り捨てなければならず、言葉ばかりで甘んじていることはもはや許されなくなるであろう。
Henri Poincaré, 改訳 科学と方法, p.196: 岩波文庫

真の数学、何等かの役に立つ数学は、その外部に荒れ狂う暴風に顧慮することなく、その原理に従って発展を続けることができて、依然として決定的にしてまた決して放棄することを要しない征服を歩一歩つづけて行くであろう。
Henri Poincaré, 改訳 科学と方法, p.203: 岩波文庫

数学者でありつつ、天体物理学者としても一流の仕事をしたことで名高いポアンカレの、数学に対する態度がこの本の第二篇 数学的推理に書かれている。この記述はヒルベルトらの形式主義(詳しくはゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫))に対する批判からの流れであるが、ポアンカレ自身が極めて実学(科学)志向であったことが読み取れる。元来、何か解くべき問題が実世界に存在しそれをモデル化したとき初めてそれを解決するための「数学」が現れるのであって、そもそもの存在理由・発生理由を忘れた「数学のための数学」は虚学にすぎず、本来あるべき姿にあらずと解釈する。そういえばポアンカレの残したかの有名なポアンカレ予想が純数学の方法でなく、物理学(統計力学)の手法を用いることで解決に至ったというのも面白い話だ。存命当時の数学者たちのみならず、没後数十年経った現代に生きる数学者たちにも冷や水を浴びせた結果となったというのは愉快な話である。


私自身の話になるが、大学および大学院では化学を専攻していたのだが、卒業研究以降その研究内容はほぼ「物理」であり、化学専攻なのにほぼ物理しかやっておらず、このような研究ばかりしていて「化学を専攻とする者」としてよいのか、と少なからず悩んでいた。が、今はこのように考えている。物理を学ぶのは「化学のために物理を学ぶ」ことだと。同様に数学を学ぶのは「化学のために数学を学ぶ」ことだという意識で勉強している。いや単に自分のしていることを正当化する理由が欲しかっただけかもしれないがw
とりあえずこれによって私が研究していたことに対する後ろめたさはバッサリ消滅した。「物理」にかまけて肝心の「化学」の勉強をあまりやってないということ以外は……。